【執 筆】田村 裕昭 |
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高気圧酸素治療(Hyperbaric Oxygen Therapy 以下HBOと略します)は、一般の方にはあまりなじみのない言葉かもしれませんが、高気圧酸素治療装置を利用し、高い気圧環境の中で純酸素を吸入して血液中の溶け込む酸素を増加させ、低酸素状態にある組織の改善を図る酸素療法です。さらに、酸素の毒性による白血球の殺菌能の賦活化、血管新生の促進、浮腫の軽減、抗菌薬の殺菌作用の増強などにより、困難な状況にある創傷の治療にも貢献しています。2020年現在のHBOの治療装置は、一人用の第1種治療装置が518基、第2種治療装置42基が日本で利用されています。
下の図は治療中の装置内圧力と血中酸素の量を測定(経皮的血中酸素分圧測定)した結果です。気圧を上げるだけでも少しずつ数値が高くなっていることが分かりますが、2気圧に到達したところで酸素マスクを着けて酸素吸入を始めると急激に酸素分圧が上昇しています。通常(1気圧の空気呼吸)の動脈血中の酸素分圧は100mmHg程度ですが、この症例では最大900mmHg以上にも達しています。高気圧酸素治療はこの増量した酸素が様々な治療効果の素になります。
どのような病気に効果があるかは、日本高気圧環境・潜水医学会が安全基準に定めている適応疾患と、厚生労働省基準として保険医療で定められた適応疾患とには多少の違いはありますが、実際の治療にあたっては保険適応に沿って治療していく必要があります。疾患によって保険でHBOが受けられる回数が異なり、適応疾患と治療制限回数は下記の表のとおりです。
保険治療の制限回数 | 対象疾患 |
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7回(但し発症から1ヶ月以内) |
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10回 |
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30回 |
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各対象疾患の詳細、代表的な治療方法等について記載します。治療に際しての参考となれば幸いです。
減圧症とは、ダイバーによる潜水作業などの高圧環境下で生体内に取り込まれた窒素などの不活性ガスが、浮上など一定の圧力環境下からの急速な減圧により過飽和状態になり、気泡となり(あたかもビールやコーラの栓を抜かれたら、溶解されていた二酸化炭素が気泡化され噴出すように)組織圧迫や血管塞栓を生じて起きる病態です。減圧症の症状はⅠ型減圧症とⅡ型減圧症に分類され、Ⅰ型は主としてベンズと呼ばれる四肢に限局した関節痛を主訴にしたものであり、Ⅱ型は脊髄が冒され四肢の知覚障害や運動麻痺を起こすものです。
【治療】再圧治療が必須ともいうべき治療法であり、病状によって治療気圧や治療時間があらかじめ決められた再圧治療表を利用して治療されます。HBOが不可欠の治療ですが、不適切な再圧治療はかえって症状を悪化させるので、慎重に状態を把握しながら適宜変更する必要もあり、より専門性の高い施設で治療することが望ましいと思います。当院では現在まで約640例の治療経験があります。
血液中のヘモグロビンに対する一酸化炭素の親和性は、酸素に比較して250~300倍強いことが知られています。吸入された一酸化炭素がヘモグロビンと強固に結合するため、酸素と結合するヘモグロビンが減少し、組織が低酸素状態に陥ることにより生じる急性中毒です。換気の悪い閉鎖空間での暖房器の使用など不慮の事故に起因することが多く、自殺目的の中毒例も報告されています。
【治療】まず事故現場から患者を移し、新鮮な空気を与え、可能なら純酸素吸入を行います。通常の空気呼吸では、血中一酸化炭素の半減期は4時間10分~5時間20分といわれ、純酸素吸入をすると半減期は1時間~1時間20分に減少します。さらに、HBOを利用して3気圧下で純酸素吸入すると、一酸化炭素結合ヘモグロビンの半減期は23分とされており、HBOは、血液中の溶解酸素を増加させ、一化炭素結合ヘモグロビンを減少させて症状の改善へと導きます。2.8絶対気圧(ATA)60分の純酸素吸入で開始し、重症例では1日2回行います。
ガス壊疽は、皮下や筋肉組織内にガス産生を伴って感染と筋肉壊死をきたす軟部組織感染症で、適切に治療されなければ切断や生命にかかわる重篤な疾患です。起炎菌から、嫌気性菌であるクロストリジウム性ガス壊疽(clostridial gas gangrene;CGG)と非クロストリジウム性ガス壊疽(non-clostridial gas gangrene;non-CGG)に分けられています。 不適切に処置された汚染開放創の処置後や軟部組織の圧挫の強い開放骨折後数日して発症することが多く、X線でガス像が確認されることから診断されます。近年では、CGGは少なく、高齢者や糖尿病合併例などでのnon-CGGの発症が多くなっています。
【治療】1961年オランダのBlummelkammpらが、CGGに対して3ATA下90分の純酸素吸入での治療を最初に報告して以後、HBOはCGG治療の第1選択となり、戦時下や事故での外傷などで数多く臨床応用され、生命予後は改善し患肢の切断も著明に減少してきました。CGGの中でも発症頻度の最も高い菌であるC.perfringens(80~90%)は絶対的な嫌気性菌ではなく、30㎜Hgの酸素分圧で自由に発育し、70㎜Hg以上で発育が抑制されるといわれています。臨床症状の主原因となる致死、溶血、筋壊死を惹起するα毒素は60㎜Hg以上で産生が抑制されることが報告されています。したがって、CGG治療では、菌の発育とα毒素産生の抑制のため、創開放・最小限の壊死組織の除去後、速やかにHBOを開始する必要があります。治療は、原則として2.8ATA60分の純酸素吸入を1日1回とし重症例では1日2回行います。近年増加しているnon-CGGに対しても、原因菌が確定するまではCGGを想定しCGGと同様にHBOを開始します。non-CGGであることが確定すれば、白血球の貪食作用の増強や抗菌薬の殺菌作用の増強、浮腫の軽減、血管の新生、創傷治癒の促進などを目的に2ATA60分の純酸素吸入によるHBOを継続しています。 壊死性(壊疽性)筋膜炎は、筋膜の浅層あるいは深層に生じ、筋膜の浅層あるいは深層に生じ、急速に皮下組織や皮膚の広範な壊死が進行する細菌感染症で、ガス産生以外の病態はnon-CGGと似ていることから、合わせて壊死性筋膜炎として扱われている場合も多くなっています。適切に治療されなければ、急速に全身状態が悪化することがあり注意が必要です。 壊死性筋膜炎に対してHBOは、白血球の抗菌作用の増強、嫌気性菌のみならず好気性菌の発育を抑制、低酸素状態の軟部組織の創治癒促進、抗菌薬の作用の増強などで、死亡率や切断率の減少につながることが報告されています。全身集中管理のもと、早期の適切な外科的処置と抗菌薬の使用に高気圧酸素治療が併用されれば、死亡率や切断率の減少などの治療成績の向上が期待されます。当院では61例のガス壊疽、24例の壊死性筋膜炎に対してHBOでの治療経験があります。
広汎挫傷では、急性の血管損傷を伴う組織の低酸素状態が起こり、浮腫を生じ、局所の低酸素状態がさらに進行し感染を生じやすくなります。筋の傷害が強いと筋組織の壊死から急性腎不全などの全身症状を呈することもあります。初期治療として創傷処置、壊死組織除去、骨折の治療、抗菌薬の投与、抗凝固剤の投与などがあげられます。それらの治療に引き続いてHBOを行うことで、低酸素状態を改善し、浮腫の軽減と白血球の殺菌作用の増強、血管の新生などにより創傷治癒を促進します。2ATA60分の純酸素吸入を連日行い、症状の経過を見ていきます。
熱傷に対するHBOの効果は、微小循環の改善、浮腫の軽減、低酸素状態になった組織の修復の促進、血管新生の促進などにより、治療期間の短縮や死亡率の低下などが報告されています脳塞栓、重症頭部外傷若しくは開頭術後の意識障害又は脳浮腫脳動脈の塞栓による脳血流の低下や、頭部外傷による脳挫傷やくも膜下出血など頭蓋内に器質的異常が生じると共に脳血流が傷害されることにより、脳に低酸素状態が引き起こされて意識障害や脳浮腫を起こします。
【治療】全身管理をしながら、脳梗塞では血圧管理、抗血栓療法、点滴による脳浮腫治療などを、頭部外傷では損傷程度をCTなどで早期診断し手術あるいは保存的治療を早期に開始します。脳血流量は18ml/min/100g以上が正常組織で12m/min/100g以下では重度の虚血、その間の12~18ml/min/100gがペネンブラ(Penumbra)と呼ばれる可逆性を有した組織傷害の状態にあたると言われています。重度の虚血部位では神経細胞は数時間後には生命を失いますが、ペネンブラの神経細胞は数時間以上生存する可能性があるとされています。HBOはこのペネンブラの組織が不可逆的変化への移行を抑制するのに有効であり、できるだけ早期に治療を開始します。
麻痺性イレウスでは、腸管内容液とガスの通過障害による停滞・貯留により腸管が膨満伸展され、腸管壁の循環障害や組織の低酸素症により、腹痛や腹部膨満、悪心嘔吐、排便排ガスの消失などが起こり、放置すれば低酸素状態はさらに進行し腸管機能の低下から全身状態が悪化します。
【治療】絶食と輸液療法、胃管やイレウス管の留置などの保存的治療的を開始し、改善がなければ手術的治療が考慮されます。HBOは、麻痺腸管内ガス容積の圧縮によるガスの減少と腸管の血流改善、改善された血行による腸管浮腫の減少や腸管蠕動の亢進、腸管ガス吸収の促進などが相乗して症状が改善すると考えられており、麻痺性イレウスや癒着性イレウスにはきわめて有効とされています。
2気圧に加圧した中で純酸素を吸入すると、体内の酸素分圧が正常の15~20倍に上昇します。低酸素状態に陥った骨や軟部組織に高濃度の酸素を供給すると、白血球の殺菌作用の亢進、組織修復の促進、抗菌薬の効果増強などの効果で感染に有効に作用することが国際的にも明らかになっています。骨髄炎の発症後や、慢性期の治癒促進目的で1日1回20~30回を1クールとし、治療効果を確認しながら継続しています。保存治療(手術をしない治療)だけでは十分な効果が得られなかった場合には局所持続洗浄療法を併用することでよりよい治療成績が期待できます。詳細は当院の治療特色「骨・関節感染症」をご覧下さい。
閉塞性血栓脈管炎(バージャー病)や閉塞性動脈硬化症に伴う潰瘍、静脈の鬱血性潰瘍、糖尿病性潰瘍、褥創などがこれにあたります。潰瘍部の血流は著しく減少し低酸素状態になっていますので、組織の修復能は低下し治癒が遷延化します。HBOは、局所の低酸素状態を改善し、組織の修復を促進し、血管新生の促進や、感染の抑制することで創治癒に有利に働き、手術の困難な難治性潰瘍に対しても著効することがしばしば経験されます。通常2~2.5ATA60分の純酸素吸入で20~60回潰瘍の状態に応じて行われます。
脊髄神経疾患とは疾病、外傷、中毒などが原因で脊髄に障害を起こす疾患の総称。で当院でHBOの適応としているのは急性脊髄障害(頚髄損傷や胸髄損傷)と頚髄症などの慢性的な神経障害です。
交通事故や転落などの外傷や脊髄腫瘍、脊髄手術術後により、脊髄の組織損傷や出血と浮腫による低酸素状態が原因で麻痺を生じたものです。
【治療】脱臼や骨折があり脊髄が圧迫されている場合は早期の手術が適応となります。脱臼や骨折のない脊髄損傷では、ステロイド療法や全身管理しながら患部を外固定して、可能であれば早期離床、早期リハを開始します。HBOは低酸素状態と浮腫を改善することで神経回復につながり有効とされています。発症後できるだけ早期に開始されるのが有効で、2~3ATA60~100分の治療を1日1回から2回行います。
【治療】HBOは、低酸素時状態にある組織の血行を改善することで神経症状の改善を促すとされている。特に、術後脊髄障害や脊柱管狭窄症に対しての有効性が報告されており、今後の研究の積み重ねが期待される分野です。当院では腰部脊柱管狭窄症にも適用し、症状の改善が得られることを確認しています。
突然に発症する原因不明の感音性難聴で、95%以上は1側性とされています。
【治療】HBOは内耳の血流障害による細胞の代謝障害や細胞浮腫に至る病態を改善する目的で行われます。2ATA60分の酸素吸入を連日10~15回行い、聴力が改善傾向にあればさらに続けて行います。聴力が固定するのは発症後2ヶ月くらいを要とされていますが、突発性難聴の聴力回復は、発症から治療開始までの時間と聴力の低下の程度が大きく影響します。発症後2週以内に治療が開始されれば効果が期待できます。
遊離植皮や有茎植皮術後に、栄養血管の損傷や圧迫・一過性のれん縮などから、循環障害が起こり皮弁の生着が障害されることがあります。
【治療】HBOは、虚血部では末梢血管を拡張するとともに、カテコールアミンの産生が抑制され、血管れん縮が消失することが知られています。従って早期に皮弁の低酸素状態を改善し、創傷治癒促進作用により皮弁の生着に効果的に作用します。初期治療は2~2.5ATA60~90分1日2回行い、改善が認められれば2ATAで20回程度行います。
低酸素状態では、細胞や組織の放射線感受性が低下するとされ、一般的には悪性腫瘍では腫瘍内部は低酸素状態にあるために、腫瘍の放射線感受性は低下しています。HBOは、腫瘍の放射線感受性を高めるのに有効であることが、実験的にも臨床的にも検証されています。また、フリーラディカルの増加による抗腫瘍作用があるとされています。
網膜動脈が閉塞し片側の急激な高度の視力低下を起こす疾患で、動脈硬化、高血圧、糖尿病、心疾患などの基礎疾患がある場合が多いようです。
【治療】HBOは、網膜への酸素供給量の増大、好気的代謝の活性化による視細胞の代謝改善、脈絡膜側から網膜への酸素供給の増大を目的に行われ、早期に開始するほど効果が得られるとされています。
減圧症、一酸化炭素中毒、ガス壊疽などの救急疾患に対するHBOの認識はあるものの、十分にその適応が認識・活用されていない疾患も少なくないと思われます。HBOの治療範囲は多岐にわたりますが、厳密な管理下で治療すれば極めて安全性の高い治療法ですので、正しい知識のもとに多くの施設で普及することを期待しています。 当院では、この治療法がもっと多くの方々に理解され広く普及されることを願って情報発信を続けていきたいと思います。
【当院の高圧タンク】